『VIVANT』の上原史郎を演じる橋爪功さん、大道具を運んだ若手時代からの長い道のり
2023年9月17日に放送された日曜劇場『VIVANT』第1シーズンの最終話。第1シーズンではこの1話だけの登場ながら、話題を集めた俳優がいます。橋爪功さんです。役名は上原史郎。2026年7月26日には第2シーズンの放送が始まりました。
橋爪さんは1941年生まれ。映画、ドラマ、舞台、朗読と仕事の幅が広く、『京都迷宮案内』の杉浦恭介や映画『東京家族』の平山周吉を思いうかべる人も多いでしょう。読売演劇大賞の大賞をはじめ、舞台の賞もいくつも受けています。
ところが、その道のりは順調とはいえません。若いころは出番の多い役がなかなか回ってこず、劇団では裏方の仕事も担当していました。役者の仕事で食べていけるようになったのは、40代の後半だったそうです。その歩みを、大阪での少年時代からたどっていきます。
大阪市東住吉区に生まれ、生徒会長を買って出た少年時代
橋爪功さんは1941年9月17日、大阪府大阪市東住吉区に生まれました。育ったのは、路地の奥にある借家です。上下に二間の家で、小さな庭もありました。
子どものころに好きだったのは、歌舞伎と映画です。舞台を客席からながめる楽しさは、この時期にもう知っていたことになります。
性格は明るく、目立ちたがり屋でした。東田辺小学校では自分から生徒会長を買って出ています。人前に立つのをいやがらない子どもだったようです。
進学した大阪教育大学附属平野中学校では、本の世界が広がりました。出会った友人がサルトルやカミュの作品を読んでいて、その影響で橋爪さんも文学作品を読むようになります。のちに朗読の仕事を数多く手がける人の読書は、ここから始まりました。
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青山高校の演劇部で出会った舞台、新聞で知った文学座の募集
大阪府立天王寺高校に進んだ橋爪さんは、1年生の2学期に東京へ移り、東京都立青山高校に転校します。暮らし始めたのは世田谷区の千歳烏山でした。
転機は高校の文化祭でやってきます。たまたま見た演劇部の舞台「獅子」に感激して、そのまま入部しました。同じクラスには、のちにザ・ドリフターズで活躍する仲本工事さんがいて、つり輪などの体操を教えてもらったこともあるそうです。
入部したあとは学力が下がり、橋爪さんは大学への進学をあきらめます。そんなある日、新聞で偶然見つけたのが、文学座が10年ぶりに研究生を募集するという記事でした。
1961年、橋爪さんは文学座附属演劇研究所の1期生に応募して合格します。同期には岸田森さん、草野大悟さん、寺田農さん、樹木希林さん、小川眞由美さん、北村総一朗さんがいました。のちの日本のドラマや映画を支える顔ぶれが、同じ場所で学び始めたことになります。
芥川比呂志さんを追って劇団雲へ、大道具ばかりうまくなった日々
文学座での大きな出会いが、俳優で演出家の芥川比呂志さんです。橋爪さんは、この出会いを自分の人生の新しい時代の始まりだったと評しています。懸命に演劇に取り組む芥川さんの姿から、新劇のおもしろさを教わりました。新劇とは、西洋の近代劇の流れをくむ日本の演劇のことです。
1963年、橋爪さんは文学座を離れ、芥川さんについて劇団雲に参加します。ただ、すぐに大きな役がもらえたわけではありません。出番の多い役はまれで、裏方の仕事も担当しました。のちに橋爪さんは、演技を学ぶどころか大道具の積み込みと片づけばかりうまくなったと振り返っています。そのときの悔しさが、続けてこられた力になった面もあると話しています。
文学座のころからの友人である北村総一朗さんも、仕事のなかった若い時期はお互いに悶々としていたと回想しています。二人はのちに『新・京都迷宮案内』シリーズでも共演しました。
それでも1960年代には、ドラマ『ザ・ガードマン』の各話や、アニメ映画『千夜一夜物語』のアスラーン、テレビアニメ『ムーミン』のゲスト出演など、少しずつ仕事の記録が増えていきました。
大阪弁で演じたスカパンが転機に、1975年には演劇集団 円の創立へ
名前が広く知られるきっかけは1974年の舞台です。芥川比呂志さんが演出した『スカパンの悪だくみ』で、橋爪功さんはスカパンを大阪弁で演じました。育った土地の言葉で挑んだこの舞台が俳優としての転機となり、橋爪さんは一躍、演劇界のスターになります。
翌1975年には、芥川さん、仲谷昇さん、岸田今日子さん、有川博さんらとともに、演劇集団 円の創立に参加しました。円はのちに橋爪さん自身が代表を務める劇団です。
もっとも、注目されたからといって生活がすぐに楽になったわけではありません。テレビドラマに続けて出るようになったのは30代後半からで、1970年代から1980年代にかけては脇役、とくに悪役を多く演じています。『太陽にほえろ!』には1974年から1978年にかけて何度も違う役で出演し、1988年の『3年B組金八先生3』では山津茂教頭を演じました。
橋爪さんは悪役にこだわりを持っています。物わかりのよい上司の役もよく来るけれど、たまには悪役もやりたいと話してきました。それも、悪く見えて本当はよい人という役ではなく、そばにいてほしくないほど悪い人物を演じたいのだそうです。
橋爪功さんが役者で暮らせるようになった『青春家族』と、50代で増えた主演作
役者の仕事で暮らせるようになったころの作品が、1989年のNHK連続テレビ小説『青春家族』です。橋爪さんは阿川久司を演じました。40代後半のことです。
同じ1989年の映画『キッチン』『ジュリエット・ゲーム』『善人の条件』で、第13回日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。1991年の『おいしい結婚』でも同じ賞に選ばれ、1996年の『お日柄もよくご愁傷さま』では優秀主演男優賞を受けました。
ドラマでは『ずっとあなたが好きだった』の西田常雄、『愛していると言ってくれ』の榊伸吉などを演じます。NHKのドラマ『海も暮れきる』で酒に荒れる尾崎放哉を演じたときは、迫真の演技に原作者の吉村昭さんが本物ではないかと疑い、一緒に飲むときに怖さを覚えたそうです。田村正和さんとは1993年の映画『子連れ狼 その小さき手に』などでの共演をきっかけに親しくなり、田村さんのマネージャーから直接、出演やナレーションを頼まれるほどの間柄になりました。
主役を演じるようになったのは50代に入ってからです。2時間ドラマを中心に主演がふえ、『新・赤かぶ検事奮戦記』の柊茂、『旅行作家・茶屋次郎』の茶屋次郎と、シリーズも生まれました。1999年に始まった『京都迷宮案内』の杉浦恭介は『新・京都迷宮案内』まで続き、野際陽子さんとの共演も9シリーズ連続になりました。
読売演劇大賞に『東京家族』、『VIVANT』まで広がり続ける役
舞台でも歩みを止めませんでした。野田秀樹さんとの二人芝居『し』、椎名桔平さんと共演した『レインマン』など、劇団の外の舞台にも多く立っています。2006年には演劇集団 円の代表となり、2023年まで務めました。2011年には『ゴドーを待ちながら』などで紀伊國屋演劇賞の個人賞を受賞。『景清』で芸術選奨文部科学大臣賞、『謎の変奏曲』で読売演劇大賞の最優秀男優賞、『Le Père 父』で読売演劇大賞の大賞と最優秀男優賞、菊田一夫演劇賞を受けました。2021年には旭日小綬章を受章しています。
映画では2013年の『東京家族』で平山周吉を演じて主演し、第37回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を受賞。ドラマ『愛していると言ってくれ』などで夫婦役を重ねてきた吉行和子さんとは『家族はつらいよ』シリーズでも共演し、橋爪さんは平田周造を演じました。ほかにも『永遠の0』の井崎源次郎、『三度目の殺人』の重盛彰久、『七つの会議』の宮野和広、『沈黙の艦隊』の海原大悟など、作品ごとに顔を変えています。
日曜劇場には2006年の『輪舞曲』と『おいしいプロポーズ』に続けて出演し、2012年の『運命の人』では弓成正助を演じました。同じ枠で演じたのが『VIVANT』の上原史郎です。2026年にはドラマ『無垢なる証人』の長谷部勇二、映画『お終活3 幸春!人生メモリーズ』の大原真一も演じています。
橋爪功さんの素顔、南海時代からのホークス好きと土肥の菜の花舞台
仕事を離れた橋爪さんは福岡ソフトバンクホークスの大ファンです。南海ホークスの時代から応援していて、2004年には『帰らざる黄金の日々 南海ホークスへの鎮魂歌』のナレーションも担当しました。
静岡県の土肥町には、特別な縁があります。『青春家族』のロケで訪れて以来、演劇集団 円の仲間や地元の人たちと、野外演劇「菜の花舞台」を続けてきました。2021年の時点で26回ほどを数えます。舞台は小さな劇場が好みで、お客さんとの距離の近さと独特の緊張感は特別だと語っています。
声の仕事も数多くあります。光村図書版の中学校国語の音声教材で魯迅の『故郷』を朗読し、アニメ映画『かぐや姫の物語』では車持皇子の声を担当しました。2010年のラジオドラマ『かわり目〜父と娘の15年〜』では放送文化基金賞の演技賞を受けています。
2026年2月末に円企画を離れ、同じ年の9月からサニーアーツに所属しています。発表の際には「新しい環境で、また新しい出会いがあることを楽しみにしています。」とコメントしました。2025年3月からは日本芸術院の会員です。朗読公演「橋爪功リーディング」は2027年1月と2月に、映画『お終活4 好春!(仮題)』と『SAKAN(仮題)』は2028年の公開が予定されています。大道具を運んでいた若者は、これからも舞台と映画に立ち続ける予定です。

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