
石破茂さん、第102・103代総理大臣を務めた鳥取の政治家
2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙で、石破茂さんは鳥取1区から14回目の当選を果たしました。2024年10月から2025年10月まで、第102代・第103代の内閣総理大臣を務めた人です。鳥取県出身の総理大臣は、石破さんが初めてでした。総理を退いてからも元総理として講演や発信を続け、高市早苗首相の特使として海外を訪れる役目も務めました。
防衛庁長官、防衛大臣、農林水産大臣、地方創生担当大臣、そして自民党の政務調査会長と幹事長。40年におよぶ政治家人生で、国と党のさまざまな役目を担ってきました。安全保障の政策通として知られ、『国防』『日本列島創生論』『私はこう考える』など著書も数多くあります。文節ごとに一拍おいて、かんで含めるようにゆっくり語る話し方も、石破さんならではです。
けれど社会人としての第一歩は、政治の世界ではなく銀行でした。29歳で全国最年少の国会議員になり、5度目の挑戦で党の総裁にたどり着くまでの歩みと、鉄道やカレーを愛する素顔を紹介します。
東京で生まれ、鳥取で育った少年時代
石破さんは1957年2月4日、東京都千代田区で、姉2人の末っ子の長男として生まれました。名前の由来は、元首相の吉田茂さんです。父の石破二朗さんは、建設事務次官や鳥取県知事、参議院議員、自治大臣を務めた人でした。
1958年に父が鳥取県知事になったため一家は鳥取へ移り、石破さんは中学校を卒業するまで鳥取県八頭郡郡家町(いまの八頭町)で育ちます。そのため、東京での幼いころの記憶はないそうです。幼いころは、テレビの『鉄腕アトム』や『オバケのQ太郎』を欠かさず見ていました。
母はかつて国語の教員で、教育に熱心でした。小学生のころは毎晩1時間ほど、偉人伝を声に出して読んでいたといいます。鳥取大学教育学部附属小学校、附属中学校を経て、慶應義塾高等学校へ進学します。高校受験で上京したときから、鳥取と東京を結ぶ寝台特急「出雲」との長い付き合いが始まりました。2年のときには、のちにコラムニストとなる泉麻人さんと同じクラスだったそうです。慶應義塾大学法学部法律学科(新田敏ゼミ)では、2年生のときに全日本学生法律討論会で1位になりました。1979年に大学を卒業しています。
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銀行員から政治の道へ、田中角栄さんのひと言
大学を出るとき、石破さんは新聞記者になることや、日本国有鉄道(いまのJR)への就職も考えていたそうです。鉄道好きの石破さんらしい選択肢ですが、父の反対もあってあきらめ、1979年に三井銀行(いまの三井住友銀行)に入行しました。配属先は東京都中央区の本町支店です。入行のころについては、鳥取県出身で三井信託銀行の社長を務めた土井正三郎さんが、父から就職の相談を受けていたと振り返っています。
転機は1981年9月でした。父の二朗さんが亡くなったあと、父の友人だった田中角栄元首相から「おまえが(おやじの後に)出ろ」とすすめられ、政治の道に進むことを決めます。
1983年に三井銀行を退職し、田中さんが率いる自民党の派閥、木曜クラブの事務局に勤めました。銀行員として働いたのはおよそ4年。机の上の数字と向き合う仕事から、選挙と政治の現場へ。20代半ばでの大きな方向転換でした。ここで約3年、政治の現場を学んだあと、1986年の総選挙に挑むことになります。父と同じ政治の道を、鳥取から歩き始める準備の時間でした。
29歳で全国最年少の国会議員に
1986年、石破さんは第38回衆議院議員総選挙に自民党公認で鳥取県全県区から立候補し、初当選します。当時29歳、全国で最も若い国会議員でした。亡くなった島田安夫さんの旧後援会から頼まれての立候補で、その後は連続で当選を重ねていきます。
1988年にはリクルート事件をきっかけに、武村正義さんや鳩山由紀夫さんらと政策勉強会「ユートピア政治研究会」を結成。1990年の総選挙では鳥取県全県区のトップで当選し、同じ年に衆議院農林水産委員会の理事、1992年には宮澤改造内閣で農林水産政務次官に就きました。
1993年の総選挙では党の公認を得られず、無所属で立候補してトップで当選しました。同じ年に石破さんは自民党を離れ、改革の会を経て1994年に新生党、その後は新進党に加わります。本人は、当時の自民党が憲法改正の議論を凍結する方針だったことが離党の理由だったと説明しています。1996年の総選挙の前に新進党を離れ、新しくできた鳥取1区から無所属で立候補して当選。1997年3月、橋本龍太郎首相が率いる自民党に戻りました。それ以来、鳥取1区で当選を重ねています。
防衛庁長官から幹事長まで、石破茂さんが担った大役
復党後の2000年に第2次森内閣で農林水産政務次官、2001年に防衛庁副長官を務め、党の拉致議連の会長を務めたあと、2002年には第1次小泉内閣の改造で防衛庁長官として初めて入閣します。在任中は、有事法制の制定や陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組みました。
2007年には福田康夫内閣で防衛大臣に、2008年には麻生太郎内閣で農林水産大臣に就任。自民党が野党になった2009年には、谷垣禎一総裁のもとで政務調査会長に起用されます。鳥取県選出の議員が党三役に入ったのは、石破さんが初めてだったそうです。2011年に政調会長を退いたあとは、派閥をこえた政策勉強会「さわらび会」を立ち上げ、党の安全保障調査会長も務めました。
2012年の総裁選では1回目の投票でトップの199票を得ましたが、決選投票で安倍晋三さんに敗れます。その後、安倍総裁のもとで幹事長に就任し、2014年には新しくできた党の安全保障法制整備推進本部の本部長も務めます。2014年9月からは地方創生と国家戦略特別区域を担当する大臣を務め、2016年8月まで地方の活性化に取り組みました。2015年の総裁選には立候補せず、のちに「閣僚か党役員として仕えているときは総裁選に出ないのが私の信条」と語っています。同じ年に、自身の政策グループ「水月会」を立ち上げました。
5度目の総裁選で、第102代内閣総理大臣に
2024年8月24日、石破さんは地元の八頭町で総裁選への立候補を表明します。9月27日の投開票では1回目の投票で2位となり、高市早苗さんとの決選投票で215票を得て、第28代自民党総裁に選ばれました。一度自民党を離れて戻った人が総裁になるのは、河野洋平さん以来のことです。2008年、2012年、2018年、2020年に続く5度目の挑戦でした。
10月1日、国会で首相に指名され、第102代内閣総理大臣に就任。これで中国地方の全ての県から総理大臣が出たことになりました。昭和30年代生まれの総理大臣としては、野田佳彦さん、岸田文雄さんに続く3人目です。10月9日に衆議院を解散し、就任から解散までの8日間は戦後最短です。11月11日には第103代内閣総理大臣に選ばれ、第2次石破内閣が発足しました。
2025年1月にはマレーシアとインドネシア、4月にはベトナムとフィリピンを訪れています。9月7日の記者会見で「自由民主党総裁を辞して後進に道を譲る」と辞任を表明。10月10日には「戦後80年に寄せて」と題した首相としての所感を発表し、10月21日に内閣総辞職しました。首相としての在職日数は386日でした。
寝台特急にプラモデル、カレーまで、石破茂さんの素顔
石破さんは、子どものころから自動車やタクシー、SLが大好きだった鉄道ファンです。ブルートレイン時代の寝台特急「出雲」には、高校受験で東京へ出たときから国会議員になってからまで、1000回以上乗ったといいます。いまも鳥取と東京の行き来に、寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」や特急「スーパーいなば」を使う姿がたびたび報じられています。事務所の書棚には、「出雲」のヘッドマークのレプリカや「サンライズ出雲・瀬戸」のプラレールが置かれていることが多いそうです。
戦車や戦闘機、軍艦のプラモデル作りも趣味です。防衛庁長官のころ、来日したロシアのイワノフ国防大臣に喜んでもらおうと、2日間徹夜して空母の模型を組み上げたこともあります。作ってみると、それぞれの性能がよく分かると話しています。静岡ホビーショーで自衛隊の車両が展示されるようになったのも、石破さんの働きかけがきっかけでした。
料理も得意で、大学の4年間はほとんどカレー三昧。防衛庁長官時代に自分で料理を始め、サフラン入りのご飯や鳥取産の大山地鶏、隠し味の鳥取産ラッキョウを使う「石破カレー」が知られています。漫画やアニメにも詳しく、『宇宙戦艦ヤマト』のファンで、映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の公開時は連日映画館に通いました。高校時代からキャンディーズの大ファンで、A面の曲は全部歌えるそうです。
総理を退いたあとの石破茂さん、いまも衆議院議員として
総理を退いたあとも、石破さんは元内閣総理大臣として多くの発信を続けています。2026年1月には、高市早苗首相の特使として15日から17日までアラブ首長国連邦を訪れました。2月に予定されていたムハンマド大統領の国賓としての来日に向けた、下準備の役目でした。
2026年2月8日の第51回衆議院議員総選挙では、鳥取1区で14回目の当選。3月31日には日本外交政策学会の特別講演会で「激動期の政権運営から見えた日本のリアル」をテーマに話し、4月には外交や安全保障の専門家が集まる国際会議「アサンプレナム2026」で基調講演を行いました。
1986年の初当選から40年。銀行員から政治の道に入り、防衛、農林水産、地方創生、そして総理大臣と、国のさまざまな場面に関わってきました。本人は、自分の主張は初当選のころから大きく変わっていないと語り、その中に地方分権の推進や、2世やタレントでなくても国会議員を目指せる環境づくりを挙げています。石破茂さんはいまも衆議院議員として、地元の鳥取と東京の国会を行き来しながら活動を続けています。
写真: Cabinet Public Relations Office of the Cabinet Secretariat / CC BY 4.0 (Wikimedia Commonsより)

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