2023年放送の日曜劇場『VIVANT』の西岡英子役、大河ドラマ『麒麟がくる』の土田御前役、映画『武士の一分』の三村加世役。檀れいさんは映画にもドラマにも舞台にも立ち続けてきた女優です。その出発点は宝塚歌劇団で、大きな役が付かない時期もありました。そこから二つの組のトップ娘役になるまでに、どんな道があったのでしょう。兵庫県の温泉町から始まる歩みを、順番にたどります。
檀れいさんの生い立ち、学芸会でほめられた幼稚園のころ
檀れいさんは1971年8月4日生まれ、兵庫県美方郡温泉町の出身です。温泉町は現在の新温泉町にあたります。学校は温泉町立温泉中学校から兵庫県立浜坂高等学校へと、地元で進みました。
人前に立つ仕事に興味を持ったきっかけは、幼稚園のころにさかのぼります。学芸会でほめられたことでした。
高校時代にはファッション雑誌の読者モデルも経験しています。幼稚園のころに生まれた興味が、ここで仕事に近い形になりました。ふるさとの学校に通いながら、人に見てもらう仕事を実際に知っていったわけです。そして高校を卒業した檀れいさんは、1990年に宝塚音楽学校へ入学します。ここから舞台の道が始まりました。
第78期生として宝塚へ、初舞台は雪組の公演
1992年、檀れいさんは第78期生として宝塚歌劇団に入団しました。初舞台は雪組の『この恋は雲の涯まで』でした。宝塚大劇場で1992年3月26日に幕を開け、7月には東京宝塚劇場でも上演されています。同じ1992年には、組回りとして花組の東京公演『白扇花集/スパルタカス』『心の旅路/ファンシー・タッチ』にも出演しました。
檀れいという芸名には、由来があります。樹木の檀(マユミ)から取ったものです。マユミの木はよくしなることから、柔軟な姿勢でどんな役でもこなせるように、という意味が込められました。そこに中性的な名前の、れいを合わせています。
じつは第一希望は真魚渚、第二希望は紫月るなでした。どちらもほかの生徒と苗字が重なったため、あきらめたそうです。結果として選んだ檀の字は、のちに映画やドラマでも広く知られる名前になりました。宝塚歌劇団時代の愛称は、そのまま、だんです。
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大きな役のない日々から、入団7年目の初ヒロインへ
檀れいさんは組回りを経て、1993年に月組へ配属されました。『グランドホテル』『風と共に去りぬ -バトラー編-』『ME AND MY GIRL』など、多くの公演に出演しています。ただ、この時期に大きな役が付くことはありませんでした。1995年の『ハードボイルドエッグ/EXOTICA!』は、阪神・淡路大震災のために公演が中止になっています。
若手が中心となって本公演と同じ作品を演じる新人公演では、1996年の『CAN-CAN』でミミを、『チェーザレ・ボルジア』でカテリーナ・スフォルツァを演じました。1997年には雪組へ移り、翌年の全国ツアー『風と共に去りぬ』ではメラニー・ウィルクスを演じました。
転機は1998年です。雪組の『浅茅が宿』の新人公演で、宮木と眞女児を演じ、初めてヒロインに抜擢されました。入団7年目で、新人公演に出られる最後の年のことでした。同じ年、宝塚歌劇団の年度賞で努力賞も受けています。入団からここまで、7年がかかったことになります。
月組トップ娘役に就任、中国公演でたたえられた檀れいさん
初ヒロインの翌年、檀れいさんは真琴つばささんの相手役として月組のトップ娘役に就任します。トップ娘役とは組の娘役の中心に立つ人のことです。1999年の『うたかたの恋』ではマリー・ヴェッツェラを、『螺旋のオルフェ』ではアデルとルシルの二役を演じました。2000年の『LUNA-月の伝言-』ではアイリーンを、『ゼンダ城の虜』ではフラビア姫を務めています。
この時期を語るうえで欠かせないのが中国公演です。檀れいさんは1999年の『夢幻花絵巻/ブラボー!タカラヅカ』と、2002年の『蝶・恋/サザンクロス・レビュー・イン・チャイナ』の2度、中国公演に参加しました。2002年は星組公演への特別出演で、霧音を演じています。楊貴妃の再来とたたえられ、北京語でのソロも披露しました。中国公演のときの愛称はタン・リーです。
2001年に真琴つばささんが退団すると、檀れいさんは専科へ移りました。専科は特定の組に属さず、さまざまな公演に出演する人たちの集まりです。芸術座の『極楽町一丁目』に外部出演したほか、2002年には日生劇場の『風と共に去りぬ』でメラニーを演じ、この年の年度賞では優秀賞を受けました。
星組で再びトップ娘役へ、当たり役のアムネリスと楊貴妃
2003年、檀れいさんは湖月わたるさんの相手役として、星組のトップ娘役に就任します。二つの組でトップ娘役を務めたことになります。
この時期には『永遠の祈り-革命に消えたルイ17世-』のアンヌや、『1914/愛』のアデルも演じました。そして当たり役が二つ生まれます。一つは2003年の『王家に捧ぐ歌』のアムネリスです。宝塚大劇場と東京宝塚劇場で上演され、2005年の中日劇場公演でも同じ役を演じました。もう一つは2004年の『花舞う長安 -玄宗と楊貴妃-』の楊貴妃です。中国公演で楊貴妃の再来とたたえられた檀れいさんが、舞台でその楊貴妃本人を演じたわけです。
2005年、『長崎しぐれ坂/ソウル・オブ・シバ!』のおしま役を最後に、宝塚歌劇団を退団しました。東京宝塚劇場での公演は8月14日までです。入団から13年あまりの宝塚生活でした。退団の年の5月にはさよなら写真集『Farewell Dan Rei』も出ています。
『武士の一分』で映画デビュー、檀れいさんに続いた新人賞
退団後の檀れいさんは女優として新しいキャリアを始めます。2005年10月には舞台『夜叉が池』で百合を演じました。そして2006年12月1日公開の『武士の一分』で三村加世を演じ、銀幕デビューを果たします。
この作品での評価は大きなものでした。第30回日本アカデミー賞では新人俳優賞と優秀主演女優賞を受けています。さらに毎日映画コンクール、キネマ旬報、ブルーリボン賞、ゴールデン・アロー賞の新人賞も並びました。第16回日本映画批評家大賞の新人女優賞や、第2回おおさかシネマフェスティバルの主演女優賞も受けました。宝塚で13年あまり舞台に立ってきた人が、映画の世界では新人として評価されたことになります。2009年には第32回日本アカデミー賞の優秀助演女優賞も受けています。
その後も映画の出演は続きます。『釣りバカ日誌18』の木山珠恵、『母べえ』の野上久子、『感染列島』の小林栄子、『逆転裁判』の綾里千尋、『利休にたずねよ』の北政所、『四月は君の嘘』の有馬早希、『累 -かさね-』の淵透世、『沈黙のパレード』の新倉留美。2022年6月公開の『太陽とボレロ』では映画初主演として花村理子を演じ、公開の場では目に涙を浮かべて胸がいっぱいだと語りました。
大河ドラマから『VIVANT』の西岡英子役へ、広がるテレビと舞台の仕事
テレビドラマでは2007年の『陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜』でお艶を演じました。2010年の『八日目の蝉』では主演として野々宮希和子を、2014年の『福家警部補の挨拶』でも主演として福家を演じています。『美しい隣人』の矢野絵里子、『ルーズヴェルト・ゲーム』の仲本有紗、『ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜』の峰岸雪乃も、檀れいさんの出演作です。大河ドラマには2度出演し、2012年の『平清盛』で待賢門院を、2020年の『麒麟がくる』で土田御前を務めました。
2023年には日曜劇場『VIVANT』の第2話、第3話、最終話に西岡英子役で出演しています。同じ年に『たとえあなたを忘れても』の青木理佐子を、2024年には『マウンテンドクター』の松澤周子と『磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜』の母上を演じました。
舞台にも立ち続けています。帝国劇場などの『細雪』で三女の雪子を、新橋演舞場の『オセロー』でデズデモーナを、明治座の『恋、燃ゆる。』でおさんを演じました。2024年の『有頂天家族』では下鴨桃仙を、2025年の『大逆転!戦国武将誉』ではお濃を務めています。声の仕事も多く、2023年公開のディズニー映画『ウィッシュ』ではアマヤ王妃の声を担当しました。
檀れいさんの素顔、日本の手わざと中国語、そしてこれから
仕事の外の顔が見えるのが、旅や学びの番組です。BS日テレの『手わざ恋々和美巡り「檀れい 名匠の里紀行」』は2011年から2013年まで続き、2012年には講談社から本も出ました。題は『檀れいの 今残しておきたい、日本の美しいものたち』です。2019年の元日には、BS日テレの番組でスペインのバスクを旅するナビゲーターも務めました。2015年には農林水産省から日本食普及の特別親善大使に任命されています。
NHK Eテレの『中国語!ナビ』には、2024年4月から生徒として出演しました。中国公演で北京語のソロを歌った檀れいさんが、ここでは中国語を学ぶ側に座っています。TBSラジオの『檀れい 今日の1ページ』は2014年7月から2024年3月まで続きました。2025年には第54回ベストドレッサー賞の芸能・スポーツ部門を受けました。CMではサントリーの金麦に2007年の発売当初から12年間出演し、2026年9月には6年ぶりに戻って、ブランドのアンバサダーになっています。
2026年には太田プロダクションを離れて独立したとも紹介されています。入団から30年以上、舞台と映画とドラマを歩いてきた檀れいさんに、次はどんな役で出会えるのか、楽しみに待ちたいところです。

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