鳥山明、1年で500ページのボツから『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』で世界の漫画家へ

鳥山明さんの絵は、いまも世界で新しい作品を生み続けています

2026年1月25日、千葉の幕張メッセで『ドラゴンボール』40周年を締めくくるイベント「ドラゴンボール ゲンキダマツリ」が開かれ、鳥山明さんのカラーイラスト原画が展示されました。同じ日には新しいゲームの企画「AGE 1000」も発表され、鳥山さんが描いたオリジナルキャラクターが初めて公開されています。

『Dr.スランプ』は累計3,000万部、『ドラゴンボール』は2億6,000万部。ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインも手がけました。日本の漫画が海外で「MANGA」と呼ばれて広まるきっかけを作った一人として、いまも世界中で名前が知られています。2024年に亡くなったときには、フランスの新聞『リベラシオン』が一面トップに孫悟空のイラストを掲げて追悼の社説を載せました。

けれど鳥山さんが初めて漫画を描いたのは、23歳の誕生日のこと。それまでは名古屋のデザイン会社で働く会社員でした。

清洲の町で動物と乗り物を描き続けた少年時代

鳥山さんは1955年4月5日、愛知県西春日井郡清洲町(いまの清須市)で長男として生まれました。子どものころから絵を描くのが好きで、とくに動物や乗り物をよく描いていたそうです。ほしい物があると、手に入るか興味がなくなるまで、その絵を描き続ける癖があったといいます。

夢中になるきっかけは、1961年公開のディズニー映画『101匹わんちゃん大行進』と、手塚治虫さんの『鉄腕アトム』でした。通っていた絵画教室で描いた『101匹わんちゃん』の絵が表彰され、それが自信になったと本人は振り返っています。小学校の写生コンクールでも何度か入賞しました。娯楽の少ない時代で、クラスのみんなが絵を描いていましたが、同級生を描くうちに自分の絵がまわりより上達していくのを感じたそうです。

高校は愛知県立起工業高等学校へ進み、美術部に入ります。マンガ研究同好会を立ち上げて会長も務めましたが、漫画を読んだり描いたりすること自体は多くなかったそうです。高校2年のときには、美化キャンペーンのポスター『自然を返せ』が全国高校生の部で入賞しています。

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会社員から23歳で初めての漫画へ、1年で500ページのボツを越えて

1974年に高校を卒業した鳥山さんは、絵を描く仕事がしたいと、名古屋の広告デザイン会社にデザイナーとして就職します。けれど仕事は文字を描くレタリングが中心の決まった作業になり、約2年半後の1977年1月に退職。それでも「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と語っています。

その後、喫茶店で手に取った『週刊少年マガジン』で、賞金50万円の新人賞の募集を見つけます。23歳の誕生日に生まれて初めて漫画を描き始めましたが締め切りに間に合わず、1978年1月に『週刊少年ジャンプ』の新人賞へ。賞金は同じでページ数が半分だからと、ギャグ漫画『アワワワールド』を送りました。

続けて送った『謎のレインジャック』が、編集者の鳥嶋和彦さんの目にとまります。アルファベットの描き文字や、いろいろな角度から描ける画力にセンスを感じた鳥嶋さんは、「今は下手だが頑張れば何とかなるかもしれないから、もっと描いて送ってよ」と声をかけました。ここから、話の設計図にあたるネームに何度もボツが出る修行が始まり、その量は1年で500ページにのぼります。

1978年、読み切り『ワンダー・アイランド』でデビューしますが、読者アンケートは最下位。1979年の月給は3万円でした。それでも鳥山さんは愛知で描き続け、原稿は名古屋空港から飛行機で送っていました。

則巻アラレが主人公に、『Dr.スランプ』で一大ブーム

転機は『Dr.スランプ』です。鳥山さんは最初、発明家の則巻千兵衛を主人公にするつもりでした。ところがサブキャラクターとして描いた則巻アラレに魅力を感じた鳥嶋さんが、アラレを主人公にしようと提案します。女の子の主人公に自信がなかった鳥山さんは一度断りますが、試しに描いた女の子が主人公の読み切り『ギャル刑事トマト』が好評で、アラレが主人公に決まりました。

1980年、『週刊少年ジャンプ』5・6合併号で連載がスタート。たちまち人気作となり、1981年4月にはテレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』がフジテレビ系で始まります。最高視聴率は36.9%。単行本の第5巻は初版130万部、第6巻は初版220万部を記録しました。この大ヒットをきっかけに、それまで漫画のアニメ化に積極的ではなかったジャンプ編集部も、アニメやグッズへと作品を広げる展開を行うようになったといわれます。

1981年には第27回小学館漫画賞を受賞。連載1年目は眠る時間もないほどの忙しさでしたが、鳥山さんは「締め切りだけは絶対に守っていました。」と語っています。原稿が一度でも遅れたら東京で暮らすという約束での連載でしたが、締め切りを破ったことは一度もなく、愛知で描き続けました。

『ドラゴンボール』と『ドラゴンクエスト』、鳥山明さんの絵が世界へ

1984年8月に『Dr.スランプ』を終えると、同じ年の11月に『ドラゴンボール』が始まります。最初は『西遊記』をもとに、コメディと格闘の要素を加えた少年・孫悟空の冒険物語でした。アンケートの順位が下がると、鳥山さんは強さを追い求める悟空を前に出し、天下一武道会に向けて修行する分かりやすい流れに切りかえます。順位は大きく持ち直し、ジャンプの看板作品になりました。タイトルは、学生時代に通いつめた映画『燃えよドラゴン』から来ています。

1986年から1997年まで、アニメは『Z』『GT』と名前を変えながら放送され、世界中で人気を集めました。元編集長の西村繁男さんは、ジャンプが週653万部という最高部数を達成できたのは鳥山さんの力があってこそだと語っています。

同じ1986年には、ゲーム『ドラゴンクエスト』のキャラクターとモンスターのデザインも始めます。生みの親の堀井雄二さんのラフ絵では目も口もないドロッとした姿だったスライムを、鳥山さんは雨つぶのような形に描きかえました。第1作から『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』まで、すべてのナンバリング作品を手がけています。『ドラゴンクエスト』が国民的RPGと呼ばれるのも、鳥山さんの功績だと評されています。

連載を終えてからも広がり続けた仕事

1995年3月には、堀井雄二さん、坂口博信さんと組んだゲーム『クロノ・トリガー』でキャラクターデザインを担当しました。同じ年に『ドラゴンボール』の連載を終えたあとは、『COWA!』『カジカ』『SAND LAND』など短い連載が中心になります。バンダイからもらったMacをきっかけにパソコンでの作画を始め、2000年代からはフルカラーの作品が増えていきました。

2013年には13年ぶりの新連載『銀河パトロール ジャコ』を発表。同じ年の映画『ドラゴンボールZ 神と神』で初めて脚本から深く関わり、2015年の『ドラゴンボールZ 復活の「F」』では一人で脚本を書いています。2015年からのテレビアニメ『ドラゴンボール超』ではストーリーとキャラクターの原案を担当し、映画『ドラゴンボール超 ブロリー』『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』でも脚本とキャラクターデザインを手がけました。

2024年3月1日、鳥山さんは68歳で亡くなりました。知らせは3月8日に公表され、BBCやニューヨーク・タイムズなど海外の多くのメディアも速報で伝えています。2013年にアングレーム国際漫画祭の40周年記念特別賞、2019年にフランス芸術文化勲章シュバリエを受けるなど、海外でも高く評価されてきた漫画家でした。

プラモデルに中日ドラゴンズ、鳥山明さんの素顔

仕事の外の鳥山さんは、プラモデル作りが大好きでした。腕前はプロ級で、タミヤが毎年開く1/35フィギュア改造コンテストで何度も入賞し、1986年には金賞を受けています。作品にロボットや車、バイクがよく出てくるのは、バイクレーサーだった父が自動車修理工場を営んでいた影響もあるそうです。オリジナルのメカを考えている時間がいちばん楽しいと語っていました。

「生まれも育ちも名古屋で中日ドラゴンズファン」と話し、『Dr.スランプ』にもキャラクターがドラゴンズを応援する場面があります。サイン集めも趣味で、登場人物の空豆ピースケの趣味がサイン集めなのは、鳥山さんの趣味をそのまま映したものです。好きな季節は夏で、作品の季節も夏が多いといいます。

子どものころからいちばん影響を受けたのはディズニーのアニメで、『ウルトラマン』はシンプルな初代が特に好きだったそうです。番をしてくれるから犬が好きなこと、自分の作品でいちばん好きな漫画は『COWA!』であることも明かしています。漫画については「僕の漫画の役目は、娯楽に徹すること」と話していました。

『ドラゴンボールDAIMA』へ、受け継がれていく鳥山明さんの作品

鳥山さんが手がけた作品は、亡くなったあとも次々に届けられています。2024年3月20日からは、Disney+で『SAND LAND: THE SERIES』の配信が始まりました。映画版に新しい場面を加えた「悪魔の王子編」と、鳥山さんが考えた新しい物語の「天使の勇者編」からなる全13話です。天使のムニエルなど新しいキャラクターの設定とデザインも、鳥山さんが提案したものでした。

2024年秋には、鳥山さんが原作、ストーリー、キャラクターデザインなどで制作に深く関わった完全新作アニメ『ドラゴンボールDAIMA』がフジテレビで始まり、2025年2月28日に最終回を迎えています。スクウェア・エニックスも、開発中の『ドラゴンクエストXII 選ばれし運命の炎』の発売を目指して開発を続けると明かしました。サウジアラビアでは、世界で初めての『ドラゴンボール』のテーマパークの建設も発表されています。2026年10月11日には、鳥山さんが原作・ストーリー・キャラクターデザインを手がけた『ドラゴンボール超』に新しい場面や描き直しを加えて作り直した『ドラゴンボール超 ビルス』が、フジテレビ系で始まりました。

評価も続いています。2024年には東京アニメアワード2024の功労部門とアメリカのハーベイ賞の殿堂入り、2026年にはアイズナー賞の殿堂入りを果たしました。冒頭の「ゲンキダマツリ」で公開された新しいキャラクターのように、鳥山さんの描いた絵は、これからも新しい冒険の入口になっていくはずです。

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