『VIVANT』で高田明敏を演じた市川笑三郎さん。ドラマで名前を知った人もいると思います。けれども笑三郎さんは1986年に15歳で三代目市川猿之助さんに入門した歌舞伎役者です。女方として大きな役を重ね、日本舞踊の流派では家元補佐を務め、オペラやミュージカルで動きの指導もしてきました。岐阜県で生まれた笑三郎さんがどんな道を通ってきたのかを、順番にたどります。
市川笑三郎さんの生い立ち、岐阜県中津川市から15歳で歌舞伎の世界へ
市川笑三郎さんは1970年5月6日、岐阜県中津川市で生まれました。母校は中津川市立坂下中学校です。屋号は澤瀉屋(おもだかや)。屋号とは歌舞伎役者の家につく呼び名です。紋は三ツ寄り替り澤瀉です。
1986年4月、笑三郎さんは三代目市川猿之助さんに入門しました。5月の誕生日を迎える前なので、まだ15歳です。猿之助さんはのちに二代目市川猿翁を名乗る方です。入門と同時に、三代目市川笑三郎として初舞台を踏みました。
この1986年は、猿之助さんがスーパー歌舞伎を始めた年でもあります。スーパー歌舞伎はそれまでの歌舞伎とは違う演出で作られた現代風の歌舞伎で、第1作は梅原猛さんの脚本による『ヤマトタケル』でした。のちに笑三郎さんはこの流れをくむ舞台で大きな役を演じることになります。
三代目猿之助さんと初世藤間紫さん、二人の師のもとで学んだ内弟子のころ
笑三郎さんの師匠は一人ではありませんでした。入門と同じ時期に、日本舞踊の初世藤間紫さんにも師事しています。そして猿之助さんと藤間紫さんの内弟子として修行を積みました。内弟子とは師匠のそばについて芸を学ぶ弟子のことです。歌舞伎と日本舞踊の両方を、10代のうちから学んでいたことになります。
入門から4年後の1990年に、松竹社長賞を受けています。1995年には松竹会長賞も受賞しました。
日本舞踊のほうでは、1996年4月に紫派藤間流の師範となり、藤間可笑(ふじま かしょう)を名乗るようになります。師範は、流派の中で弟子に教える立場のことです。歌舞伎役者の市川笑三郎と、舞踊家の藤間可笑。笑三郎さんはこのころから、二つの名前で舞台に関わるようになりました。
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部屋子から名題へ、20代で大役を任された市川笑三郎さん
20代に入ると、市川笑三郎さんには大きな節目が続きます。1994年3月、三代目猿之助さんの部屋子になりました。部屋子とは師匠の楽屋に入って、行儀から舞台の芸まで教わる立場のことです。同じ年に第15回松尾芸能賞の新人賞と歌舞伎座賞を受けました。
歌舞伎の本興行で大役に起用されるようになったのも、この時期です。1994年からは自主公演「笑三郎の会」を主宰し、2000年まで続けました。紫派藤間流の舞踊会では、歌舞伎舞踊の大曲にも挑んでいます。1996年には国立劇場奨励賞を受けました。
1998年には『伊勢音頭恋寝刃』で油屋の仲居、万野を演じています。そして同じ年の7月、歌舞伎座の『義経千本桜』四の切の静御前で、名題に昇進しました。名題は歌舞伎役者の格を表す言葉で、日本俳優協会の審査に合格するなどの手続きをへて昇進します。この年には歌舞伎座賞もふたたび受けています。入門からおよそ12年で、歌舞伎座の舞台で静御前を演じて名題になったのです。
ラジオに脚本、全国の歌舞伎教室へ広がった30代
30代の市川笑三郎さんは、役者と舞踊家を並行して続けながら、舞台の外にも仕事を広げていきます。2003年には国立劇場優秀賞を受けました。2004年から2008年まではラジオ「邦楽ジョッキー」のパーソナリティーを務め、テレビの邦楽番組にも出演しています。
子どもたちに歌舞伎を伝える仕事にも取り組みました。文化庁主催の学校向け歌舞伎教室で全国各地を回っています。2004年1月には文化庁の「言葉」について考える体験事業で三重県伊勢市を訪れ、小学生に歌舞伎の台詞の話をしました。参加した子どもたちはツラネという歌舞伎の長い台詞の形をまねて、自己紹介をしたそうです。
2006年3月の花形若手歌舞伎公演では、『當世流小栗判官』のお槙を演じました。憧れの先輩である九代目澤村宗十郎さんから引き継いだ大切な役だと、記者会見で話しています。2008年11月には第2回山口県総合芸術文化祭の創作舞台公演『長門鯨回向外伝』で脚本と演出を担当しました。2009年2月に長門ふるさと大使となり、7月には伝統歌舞伎保存会の会員にもなっています。
紫派藤間流の家元代行に、舞踊家・藤間可笑としての市川笑三郎さん
2010年4月、市川笑三郎さんは紫派藤間流の家元代行になりました。初世藤間紫さんの遺言によるものです。次の家元に指名された藤間爽子さんをはじめ、門弟の指導にあたりました。
家元代行の時期には、振付の仕事も増えていきます。2010年11月にはNHK教育『にほんごであそぼ』の「たのしやかぶき」を振り付けました。2011年には流舞「藤は紫」、2012年には新派公演『小春狂言』の構成と振付を手がけ、『小春狂言』では芸者の小光も演じています。2013年10月には、三越劇場の新派公演『婦系図』で柏屋小芳を演じました。2012年10月からは銀座にあるエコール・プチピエの藤間可笑舞踊教室で責任講師を務めています。
歌舞伎の外からの依頼も増えました。オペラ『蝶々夫人』(2013年)と『金閣寺』(2015年)では所作指導を担当しています。所作とは舞台での身のこなしのことです。2018年からはサンリオピューロランドのミュージカル「ハローキティ一座の桃太郎」で、キャラクターに歌舞伎の所作を指導しています。
2021年2月、東京の日枝神社で家元継承の儀が行われ、藤間爽子さんが三代目藤間紫として家元に就きました。笑三郎さんはその後も家元補佐として一門を支えています。
古典の女方から『ワンピース』のニョン婆、『NARUTO』の大蛇丸まで
舞台での市川笑三郎さんは、古典の女方の大きな役を重ねてきました。女方とは歌舞伎で女性の役を演じる役者のことです。2010年の新歌舞伎座では『吉野山』の静御前と『太閤三番叟』の淀の方を、2011年の新橋演舞場では『義賢最期』の小万とお槙を演じました。2012年は『熊谷陣屋』の相模、2014年は歌舞伎座で『修禅寺物語』の姉娘、桂を務めています。2016年7月の歌舞伎座では、『壽三升景清』の阿古屋と『柳影澤蛍火』のお伝の方が笑三郎さんの役でした。この年は芸道三十周年の節目でもありました。
新しく作られた歌舞伎にも出演しています。2015年10月から11月の新橋演舞場では、尾田栄一郎さんの漫画を原作にしたスーパー歌舞伎II『ワンピース』の初演で、ニョン婆(グロリオーサ)を演じました。この作品は翌2016年にシネマ歌舞伎として全国の映画館で公開されています。
2018年8月には新橋演舞場の新作歌舞伎『NARUTO -ナルト-』で大蛇丸を演じました。2019年6月の京都南座の公演では、大蛇丸とうずまきクシナの両方を務めています。2021年6月には歌舞伎座の『日蓮 愛を知る鬼(ひと)』で賤女おどろを演じました。古典の大きな役と、漫画を原作にした舞台の役。その両方を同じ時期に演じてきたのが、笑三郎さんの歩みです。
市川笑三郎さんが『VIVANT』で演じた高田明敏
舞台の外では、語りや案内の仕事もしてきました。2013年3月にはNHK Eテレのてれび絵本『浮世絵えほん・東海道五十三次シリーズ』全10話で語り手を担当しています。2011年8月には東京都歴史文化財団が主催する「伝統wa感動」邦楽解体新書でナビゲーターを務め、2015年3月にはNHK総合「世界遺産ドリームツアー」に、静御前の扮装でプレゼンターとして登場しました。
ドラマでは、TBSの『VIVANT』に出演しました。堺雅人さんが主演した作品で、笑三郎さんは2023年8月20日から9月17日までの第6話から最終話に、高田明敏の役で出演しました。2026年7月26日には第2シーズンの放送が始まり、笑三郎さんも出演者に名を連ねています。
映像の仕事はほかにも続いています。2025年10月24日に公開された映画『富士山と、コーヒーと、しあわせの数式』では、島田の役を演じました。2026年6月30日からは大和ハウス工業の「BIZ Livness」のCM「三方よし」篇に母の役で出演しています。舞台で女性の役を演じてきた笑三郎さんは、CMでも母の役を演じています。
好きな言葉は「輝」、市川笑三郎さんの素顔とこれから
市川笑三郎さんの好きな言葉は「輝」、趣味は歌と作詞と紹介されています。語りの仕事も多く、2016年2月には名古屋のコンサート「兵士の物語」に語り手としてゲスト出演しました。同じ年の12月には歌舞伎座タワーのギャラリーで行われるレクチャー「歌舞伎夜話」にも初めて登場しています。2021年10月には、佐世保市のアルカスSASEBOで開かれた「伝統芸能 華の舞」に出演しました。
生まれ故郷とのつながりも続いています。2014年に中津川ふるさと応援隊員に登録し、2016年12月には母校の坂下中学校が開いた先輩講演会で講師を務めました。2017年7月には中津川市の観光大使になっています。15歳で入門した笑三郎さんにとって、30年あまりたって母校で話す日は、心に残る一日だったのかもしれません。
2026年10月1日には市川猿弥さんとともに、松竹エンタテインメントと業務提携を結んだと発表されました。歌舞伎の舞台、藤間可笑としての日本舞踊、そして映像の仕事。入門から40年となる2026年も、笑三郎さんの仕事は広がり続けています。

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