
北海道芦別市で生まれた水谷豊さん、立川で育った少年時代
2026年10月21日、テレビ朝日系で『相棒 season25』の放送が始まりました。杉下右京を演じるのは水谷豊さんです。2000年に2時間ドラマとして生まれたこのシリーズは、放送20年を超える長寿番組になりました。けれど水谷さんの歩みをたどると、一度は芝居をやめ、俳優を辞めようと考えた時期もあったことが分かります。
水谷さんは1952年7月14日、北海道芦別市野花南で生まれました。両親は京都の出身で、四人きょうだいの末っ子です。父の仕事にあわせて北海道の各地を移り住み、小学校は小平町立達布小学校に入学しました。北海道で過ごしたころの記憶は、ほとんど残っていないそうです。
小学2年のとき、父が東京都立川市で土建業を始め、そこから立川で育ちます。立川市立立川第四小学校、立川第一中学校を経て、三鷹市の大成高等学校を卒業しました。俳優になってからも、20代半ばまで立川の実家に住んでいたといいます。
少年のころ、白黒テレビを見ながら、この小さな箱にいつか自分も入ってみせると考えたことが、のちに演劇の世界へ進む遠いきっかけになったと語っています。ただ、当時いちばんあこがれていたのは大鵬の土俵入りで、本当は力士になりたかったそうです。
劇団ひまわりに入った12歳、『バンパイヤ』の主役に抜てき
1965年、12歳で演劇に興味を持った水谷さんは劇団ひまわりに入りました。1967年には、同じ劇団の江木俊夫さんが主演した『マグマ大使』の第9話に、主人公マモルの同級生役で出演します。これが俳優としてのデビューでした。同じ1967年には、日活の映画『青春の海』にも中学生の役で出ています。
大きな転機は1968年です。フジテレビの『バンパイヤ』のオーディションを受け、主役に選ばれました。原作は手塚治虫さんで、第1話では手塚さんとの共演も果たしています。まだ10代半ばの少年が、テレビの連続ドラマの真ん中に立ったことになります。
1970年には、岩下志麻さんと共演した東宝の『その人は女教師』で映画デビューもしました。同じ年には『バツグン女子高生』のシリーズや、『新・高校生ブルース』にも出演しています。順調に見える滑り出しでしたが、水谷さんの気持ちは少しずつ別の方向へ向かっていきました。
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一度は芝居を離れた水谷豊さん、山中湖で過ごした2か月
テレビという小さな箱に入る、という子どものころの目標は、すでにかなっていました。高校に入ると、自分にはもっと合った世界があるのではと考えるようになり、大学受験も視野に入れて劇団ひまわりを退団します。いったん芝居から離れることを選んだのです。
ところが大学受験はうまくいかず、働きながら浪人生活を始めます。あるとき、このままでいいのかという思いに強くとらわれ、2か月ほど家を出ました。はじめは行くあてもなく、近所の公園の滑り台の上で夜を明かしたといいます。
その後、山梨県の山中湖までたどり着き、湖のほとりのレストハウスで2か月間働きました。華やかなテレビの世界とはまるで違う日々です。それでも、この寄り道の時間が、のちに役の中の人間くささとして生きてきたのかもしれません。
2年のブランクのあと、1972年にフジテレビの『泣くな青春』で芸能活動を再開します。同じ年の7月に始まった日本テレビの『太陽にほえろ!』では、第1回に犯人役で出演しました。この1本が、のちの大きな出会いにつながっていきます。
『傷だらけの天使』で出会った永遠の兄貴、萩原健一さん
1974年10月、萩原健一さんが主演する日本テレビの『傷だらけの天使』に、水谷さんの出演が決まりました。萩原さんの相手役には、はじめ別の俳優の名前が挙がっていましたが、スケジュールなどの事情で実現しませんでした。そこで萩原さんが、『太陽にほえろ!』第1話で共演した水谷さんを推したのです。
当時の水谷さんは、思うような役に恵まれない時期が何年も続き、俳優を辞めようと考えていたそうです。萩原さんは、水谷さんのことをひたむきで、いつも一生けんめいな人だったとふり返っています。作品は深作欣二さん、神代辰巳さん、恩地日出夫さんら映画監督が演出を担当しました。
放送のはじめは視聴率が伸びなやみましたが、少しずつ上向き、視聴者からも高く評価されます。放送が終わったあとも名作として語りつがれる作品になりました。水谷さんはこの作品がなければ今の自分はないと語り、萩原さんを永遠の兄貴と呼んでいます。
共演した岸田森さんからは、見ている人にその役が素だと思わせるような役者になってほしいと助言され、その言葉をずっと大切にしているそうです。あの役は地でやっているのかと聞かれることが、いちばんのほめ言葉だといいます。
『青春の殺人者』から『熱中時代』へ、北野広大で国民的な人気者に
1975年の映画『東京湾炎上』では、脚本を読んで、予定とは逆の立場のテロリスト役を自分から志願しました。同じ年には『夜明けの刑事』で山本刑事を演じ、これが初めての刑事役になります。
1976年、長谷川和彦さんが監督した映画『青春の殺人者』で主人公の斉木順を演じ、キネマ旬報賞の主演男優賞を最年少で受賞しました。このころは『傷だらけの天使』や『男たちの旅路』など、とげや影のある青年の役が多かった時期です。
1977年の『赤い激流』ではピアニストを演じました。ピアノはまったくの初心者でしたが、35万円でピアノを買って練習を重ね、4日目には「エリーゼのために」を最後まで弾けるようになったそうです。
そして1978年10月、日本テレビの『熱中時代(教師編)』で主人公の小学校教師、北野広大を演じます。最高視聴率46.7%を記録し、北野先生は理想の教師像として社会現象になりました。特徴のあるなまりの口調もはやり、水谷さんのファンは一気に広がります。人気を受けて、設定を一新した『熱中時代(刑事編)』も作られました。
歌手としての水谷豊さん、「カリフォルニア・コネクション」から紅白へ
水谷さんは歌手としても知られています。1977年、作詞が松本隆さん、作曲が井上陽水さんの「はーばーらいと」で歌手デビューしました。その後、阿木燿子さんと宇崎竜童さんによる「表参道軟派ストリート」、『熱中時代(刑事編)』の主題歌「カリフォルニア・コネクション」をヒットさせています。
1986年の「Unlimited Night Concert」を最後に、音楽活動はいったん休みに入ります。芝居のせりふと違い、決まったリズムの中で歌の主人公を表しきれていないと感じていたことが理由だったと語っています。
22年後の2008年3月、音楽活動を再開しました。5月にはセルフカバーのアルバム『TIME CAPSULE』を発売し、オリコンのアルバムチャートで初登場2位を記録します。ラゾーナ川崎で開いた発売記念のイベントには、約1万人のファンが集まりました。
このアルバムは第50回日本レコード大賞で企画賞を受賞し、同じ年の大みそかには第59回NHK紅白歌合戦に初めて出場して「カリフォルニア・コネクション」を歌いました。デビュー32年目のことです。2009年には23年ぶりとなるコンサートツアーを10都市13公演で行いました。
杉下右京という当たり役と、映画監督への挑戦
1981年の映画『幸福』では、長く望んでいた市川崑さんの監督作品に主演し、二人の子を持つ刑事を落ち着いた演技で演じました。その後も『地方記者・立花陽介』『探偵 左文字進』などの2時間ドラマがシリーズになり、連続ドラマ『刑事貴族』でも主演を務めます。
そして2000年から2001年にかけて、テレビ朝日の『土曜ワイド劇場』の枠で『相棒』が作られ、2002年から連続ドラマになりました。水谷さんが演じる特命係の杉下右京は当たり役となり、2008年には寺脇康文さんとともに第16回橋田賞を受けています。劇場版も2008年の『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』から何本も作られました。
2017年には、主演映画『TAP THE LAST SHOW』で映画監督としてデビューします。2019年の監督2作目『轢き逃げ 最高の最悪な日』では脚本も手がけました。尊敬する監督にはシドニー・ルメットさんやビリー・ワイルダーさん、クリント・イーストウッドさんの名前を挙げています。
2013年には映画『少年H』に出演し、2023年7月には新潮社から『水谷豊自伝』を出しました。演じる、歌う、撮る。60年近い芸歴の中で、表現の幅を広げ続けています。
紅茶と手品と方向音痴、水谷豊さんの素顔とこれから
趣味は手品で、猫を飼っています。もとはコーヒー派でしたが、右京役で紅茶を飲むようになってから、そのおいしさに目覚めたそうです。撮影で飲んでいるのはアールグレイやダージリンが中心です。ポットを肩の高さから持ち上げて注ぐ右京らしいしぐさは、撮影では飛び散る紅茶の熱さをがまんしながら続けているといいます。
自宅の中で迷子になるほどの方向音痴だという話も知られています。お酒は飲めない下戸です。プロ野球は読売ジャイアンツのファンで、とくに長嶋茂雄さんを尊敬しています。長嶋さんと撮った写真がもったいなくて、10数年も現像に出さずにしまっていたという話もあります。
松田優作さんとは「優作ちゃん」「豊ちゃん」と呼び合う親友で、一緒に旅行に行くほどの仲でした。中村雅俊さんとも若いころからの友人で、3人で飲むこともよくあったそうです。とんねるずの二人とも長いつきあいがあります。
2026年10月21日に放送が始まった『相棒 season25』の初回は、拡大スペシャル「PMクライシス〜総理の秘密と密約の罠」でした。寺脇康文さんが演じる亀山薫と並び、水谷さんは今回も杉下右京として特命係に立ちます。12歳で劇団の門をたたいた少年は、役が素に見える役者という岸田さんの言葉を胸に、これからも画面の向こうの人をひきつけていくはずです。
写真: urasimaru / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commonsより)

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