
大谷翔平さん、満票のMVP4度と日本人初の通算300本塁打
2025年11月、大谷翔平さんはナショナル・リーグの最優秀選手(MVP)に選ばれました。投票した記者30人全員が1位に入れる満票で、3年連続、通算4度目の受賞です。4度のMVPはメジャーリーグの歴代で単独2位にあたります。所属するロサンゼルス・ドジャースはこの年、球団史上初めてワールドシリーズを2年続けて制しました。
2026年も記録は続きました。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表の「1番・指名打者」として打率.462、3本塁打。7月7日のロッキーズ戦では、1回の先頭打者本塁打で、日本人で初めてメジャー通算300本塁打に届きました。8月には、6年連続となるシーズン30本塁打も記録しています。オールスターのファン投票では両リーグ最多の票を集め、ESPY賞の最優秀MLB選手賞は6年連続で受賞しました。
投げては160キロを超える速球、打っては場外へ消える本塁打。プロの世界ではほとんど例のなかった二刀流を、大谷さんはどうやって当たり前のものにしてきたのでしょうか。始まりは岩手県の町のリトルリーグでした。
岩手・水沢のスポーツ一家に生まれた次男
大谷さんは1994年7月5日、岩手県水沢市(いまの奥州市)で生まれました。父の徹さんは元社会人野球の選手、母の加代子さんはバドミントンの選手。7歳上の兄と2歳上の姉、犬の「エース」がいる、スポーツ一家の次男です。「翔平」という名前は、地元の平泉にゆかりのある源義経の八艘飛びのイメージから「翔」、平泉から「平」をとって、父の徹さんがつけました。
子どものころはバドミントンと水泳を習い、体の土台をつくりました。野球を始めたのは姉体小学校2年生のときです。兄の影響で水沢リトルリーグに入り、全国大会に出場しています。小学5年生で球速110キロを記録し、6年生のときの本塁打競争では15球中11本を柵越えさせて優勝しました。
打球が飛びすぎて困ったという話も残っています。練習場の右翼の後ろには川があり、打球が場外へ消えてしまうので「引っ張り禁止令」が出たほどでした。中学時代は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会へ。あこがれの選手は、打者なら松井秀喜さん、投手ならダルビッシュ有さんでした。
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花巻東高校で書いた目標と、アマチュア初の160キロ
中学3年の春、岩手の花巻東高校が甲子園の決勝に進みました。エースは菊池雄星さん。そのすがたにあこがれて、大谷さんは同じ高校へ進みます。掲げた目標は「日本一になる」「球速163キロを出す」「ドラフトで8球団から1位指名を受ける」。目標を達成するための「マンダラチャート」をつくったのも高校時代です。
寮生活では、生活や娯楽に制限がありました。大谷さんはのちに、その環境が自分を大きく変えるきっかけになったと振り返っています。佐々木洋監督の「先入観は可能を不可能にする」という言葉を心に刻んだのもこのころです。骨がまだ成長の途中だったため、1年生の夏までは野手として起用され、春は「4番・右翼手」で公式戦に出ました。
2年生の春には最速151キロを記録し、「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれるようになります。3年生になる直前の春の選抜大会では、大阪桐蔭高校の藤浪晋太郎さんから本塁打を放ちました。そして3年生の夏、岩手大会の準決勝・一関学院高校戦で、アマチュア野球史上初の160キロを記録します。甲子園にはあと一歩届きませんでしたが、その名は日本だけでなくアメリカの球団にも知られるようになっていました。
メジャー志望から日本ハムへ 二刀流という前例のない道
2012年10月、大谷さんは高校から直接メジャーリーグに挑戦すると表明しました。ところがドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズが1位で単独指名します。球団が用意したのは、若いうちに海外へ渡った選手の歩みを調べた30ページの資料「大谷翔平君 夢への道しるべ」。そして、ダルビッシュさんがつけていた背番号11と、投手と打者の両方を育てるプランでした。
二刀流という考えは、大谷さん自身にはなかったそうです。交渉の場で母の加代子さんが、ピッチャーとバッターの両方はできないのかと口にしたことも、話が進むきっかけになりました。12月の入団会見で大谷さんは、栗山英樹監督から「誰も歩いたことのない道を歩いて欲しい」と言われたことが決め手になったと語っています。
1年目の2013年は、開幕戦に「8番・右翼手」で先発出場して2安打。5月には投手として初登板し、新人投手の初登板では史上最速となる157キロを記録しました。オールスターゲームにもファン投票で選ばれています。成績は投手で3勝、打者で3本塁打。投げて打つ選手が、少しずつ現実のものになっていきました。
165キロと日本一 札幌で花ひらいた投打の力
2年目の2014年、大谷さんは投手として11勝、打者として10本塁打をあげ、日本のプロ野球で史上初めて「同じシーズンに2桁勝利と2桁本塁打」を達成しました。オールスターでは162キロを記録し、20歳で勝利投手になっています。2015年は最多勝利、最優秀防御率、最高勝率の3つのタイトルをとり、投手三冠に輝きました。
2016年は、さらに大きな年になります。7月のソフトバンク戦では「1番・投手」で先発し、プレーボール直後の初球を本塁打にしたうえで、投げても8回10奪三振で勝ちました。9月には西武戦で1安打15奪三振の完封勝利をあげ、チームの4年ぶりのリーグ優勝を決めます。クライマックスシリーズでは、当時の日本最速となる165キロを記録しました。
日本シリーズでは第3戦の延長10回にサヨナラ打を放ち、チームは日本一に。シーズンが終わると、パ・リーグのベストナインで史上初めて投手と指名打者の両方に選ばれ、リーグMVPにも輝きました。2017年オフ、大谷さんはポスティングシステムを使ってメジャーリーグに挑戦すると表明します。
エンゼルスで世界を驚かせた大谷翔平さんの二刀流
2017年12月、大谷さんはロサンゼルス・エンゼルスと契約しました。2018年3月29日の開幕戦で、メジャー初打席の初球をヒットに。4月1日には投手として初勝利、3日には本拠地で初本塁打を打ちました。この年は打者として22本塁打、投手として4勝。メジャー史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成し、日本人4人目の新人王に選ばれています。2019年には日本人で初めてサイクル安打も記録しました。
2021年、二刀流は一気に花開きます。オールスターゲームには史上初めて投手と打者の両方で選ばれ、「1番・指名打者」兼先発投手として出場しました。シーズンでは46本塁打、100打点、26盗塁、投げて9勝。打者として138安打・100打点・103得点、投手として130回1/3・156奪三振と、投打5部門で「100」に届き、ア・リーグMVPを満票で受賞します。2022年にはベーブ・ルース以来104年ぶりに「2桁勝利・2桁本塁打」を達成し、近代のメジャーで初めて規定投球回と規定打席の両方に届きました。
2023年3月のWBCでは、投手と打者の両方で日本代表を引っぱりました。投げて2勝1セーブ、打って打率.435。日本は優勝し、大谷さんは大会MVPに選ばれます。シーズンでも日本人で初めて本塁打王となり、2度目の満票MVPを受賞しました。
ドジャースで2年続けての世界一
2023年12月、大谷さんはドジャースと10年総額7億ドル(約1015億円)の契約を結びました。移籍1年目の2024年は打者に専念し、9月19日のマーリンズ戦でメジャー史上初の「50本塁打・50盗塁」を達成しました。本塁打王と、アジア人で初めての打点王をとり、ワールドシリーズ優勝も経験しました。指名打者だけで出場した選手がMVPに選ばれたのは、メジャー史上初めてです。
2025年は6月から投手としてもマウンドに戻りました。55本塁打はアジア人のシーズン最多記録です。ブルワーズとのリーグ優勝決定シリーズ第4戦では、「1番・投手」で先発して10個の三振を奪いながら、本塁打を3本。シリーズMVPに選ばれ、この試合はMLBの「レジェンダリー・モーメント・オブ・ザ・イヤー賞」にも日本人で初めて選ばれました。
ブルージェイズとのワールドシリーズは第7戦までもつれ、延長の末にドジャースが勝ちます。オフには4度目のシルバースラッガー賞、3年連続のハンク・アーロン賞、そして3年連続の満票MVP。AP通信の「今年の男性アスリート」には3年連続、通算4度目の選出となりました。
2026年は開幕から二刀流で入り、3・4月の月間最優秀投手に選ばれました。野手での受賞と合わせて、投打の両部門で受賞したのはメジャー史上初めてです。4月には44試合連続出塁で、イチローさんの日本人記録を17年ぶりに更新しました。
素顔は「無趣味」を公言する野球少年
日本ハム時代、大谷さんは外出をほとんどせず、出かけるときは監督の許可をとる決まりでした。それでも本人は、制限があってもなくても変わらないと話しています。2013年には「無趣味」と公言し、しいて挙げたのは読書とDVD鑑賞。漫画では『スラムダンク』や『リアル』、『ダイヤのA』を読んだと語っています。好物はクレープで、トマトは苦手だそうです。
練習は好きではない、とも打ち明けています。2019年には、試合に行けば打てるならそれでいいけれど、自分はやらないと打てないので練習する、という趣旨のことを笑いながら語りました。子どものころから負けず嫌いで、遊びでも負けると勝つまで「もっかい!」と言っていたそうです。二刀流についても「『やっぱりできないんじゃないか』と思われている方が『じゃあやろう』と思う」と話しています。
野球の外では、子どもたちに向けた活動を続けています。2023年には全国の小学校にグラブ6万個を贈りました。1校に3つ、そのうち1つは左投げ用です。2024年には子どもたちの海外留学を後押しするプロジェクトや、マットレスを全国の寮や施設に贈る「大きな夢を見よう!プロジェクト」も始めました。
高校3年生のころ、大谷さんは日本人投手として最初のアメリカ野球殿堂入りを果たしたいと語っていました。日本で5年、メジャーで9年。誰も歩いたことのない道を、大谷さんはいまも自分の足で広げ続けています。
写真: All-Pro Reels from District of Columbia, USA / CC BY-SA 2.0 (Wikimedia Commonsより)


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