サンドウィッチマン、ラグビー部の同級生が敗者復活からM-1王者へ 好感度No.1までの道

サンドウィッチマン 男性芸能人
写真: Cabinet Office, Government of Japan / Tadashi Aizawa / CC BY 4.0(Wikimedia Commons)
サンドウィッチマンの写真

好感度No.1と呼ばれるサンドウィッチマンの原点

2018年、『日経エンタテインメント!』の「好きな芸人ランキング」で、調査開始から14回続けて1位だった明石家さんまさんを抜き、サンドウィッチマンが1位になりました。「タレントパワーランキング」でも総合1位の常連で、2023年2月の調査では大谷翔平選手を抑えて1位に輝いています。ビートたけしさんは、面白いと思う芸人の筆頭に必ずサンドウィッチマンの名前を挙げ、その漫才はまねしようと思ってもできないと評しています。

伊達みきおさんと富澤たけしさんのコンビが世に知られたのは、2007年の『M-1グランプリ』でした。準決勝で落ち、敗者復活戦から勝ち上がって、そのまま優勝をさらったのです。敗者復活からの優勝は大会史上初めてでした。

けれども、このチャンスをつかむまでに結成から9年かかっています。そのうち最初の7年ほどは、キー局のテレビに出られない日々でした。仙台の高校のラグビー部で出会った同級生が、どうやって日本中に愛されるコンビになったのか。その道のりをたどります。

仙台商業のラグビー部で出会った伊達みきおさんと富澤たけしさん

伊達さんは1974年9月5日、宮城県泉市(現在の仙台市泉区)の生まれです。石巻市の小学校に2年生まで通ったあと、大阪府吹田市で3年間を過ごしました。そのころ父親に連れられて行った近鉄花園ラグビー場で新日鉄釜石の試合を見て、かっこいいと感じたそうです。中学まではリトルリーグで野球をしていましたが、高校では野球部の練習の厳しさに比べてラグビー部が楽そうに見えたこともあって、ラグビー部を選びました。

富澤さんは1974年4月30日、東京都板橋区の生まれです。父親の転勤で名古屋、新潟と移り、1984年から宮城県泉市で育ちました。漫画『ビー・バップ・ハイスクール』にあこがれ、学ランを着られる高校に入りたくて、ラグビーをやりたいからと親を説得して仙台商業高校を受けます。ところが入学した年から、制服はブレザーに変わっていました。

2人はこの仙台商業高校のラグビー部で出会います。部にはコーチもおらず、県内の強豪校に101対0で負けたこともありました。それでも富澤さんは、授業に出ない日も部活だけは行くほど、仲間と会うのが楽しかったと振り返っています。

あわせて読みたい:松坂桃李の生い立ちと軌跡はこちら

3年かけて口説いた結成と、何度も変わったコンビ名

高校を出た伊達さんは福祉系の専門学校に進み、その後、福祉用具を扱う会社に就職して営業職として働きます。福祉用具専門相談員の資格も持っていました。一方の富澤さんは、役者やものを作る人になりたいという思いを捨てきれず、就職せずにアルバイトを続けていました。

富澤さんは1995年に生まれた吉本興業の仙台事務所への所属を目標にして、まず伊達さんを誘いますが、断られます。そこで別の友人と「ゆやゆよん」を組みましたが、所属する前に仙台事務所が撤退してしまいました。それでも伊達さんと組みたかった富澤さんは、3年にわたって伊達さんを口説き続けます。

そして伊達さんは会社を辞める決意をしました。1998年7月12日、同郷の先輩芸人ワッキー貝山さんが仙台駅前で開いたライブで、2人は「ゆやゆよん」の名前のまま初舞台に立ちます。同じ年の9月にコンビを結成して上京し、「親不孝」と名乗りました。その後、フリーになって「銭と拳」に改め、一度だけ「バイキング」という名前で舞台に出たこともあります。

トリオから生まれたサンドウィッチマンという名前と長い下積み

24歳のとき、ホリプロで同期だった浜田ツトムさんが加わり、トリオ「サンドウィッチマン」が誕生しました。2人と同じくらいの身長で体重が50キロ台だった浜田さんを、伊達さんと富澤さんがはさむとサンドウィッチのようだ、というのが名前の由来です。浜田さんは1年ほどで抜けましたが、名前はそのまま残りました。

自由にネタができる事務所を探してフラットファイヴに所属し、ライブには出続けました。それでもキー局のテレビにはなかなか出られません。Vシネマの端役で食いつないだ時期もあります。結成したころはコント専門でしたが、東京ダイナマイトの漫才を見て漫才も始めました。いちばん影響を受けた芸人はバカルディ(現在のさまぁ〜ず)で、ライブのビデオを見て勉強していたそうです。東京に出てからの10年間、2人はアパートで一緒に暮らしていました。

30歳を目前にしたころ、富澤さんは伊達さんに解散を持ちかけます。会社を辞めさせてまで誘ったのは自分だという負い目があったからです。伊達さんは、30歳になるまでの1年間を一生懸命やってみようと引き止めました。2人は2005年を勝負の年と決め、アルバイトを減らし、生活費を借金でまかなって、片っぱしからライブに出ていきます。

エンタの神様からM-1グランプリ2007の敗者復活へ

努力は実を結びます。2005年5月28日、日本テレビの『エンタの神様』に初登場。披露したのは「ピザのデリバリー」でした。収録ではあまりにうけて、観客の笑い声が2人のピンマイクにまで入ってしまい、同じネタをもう一度やり直したといいます。このとき総監督の五味一男さんから、伊達さんがツッコミ、富澤さんがボケのほうが見やすいと助言を受け、いまの形が決まりました。2人はのちに、人生を変えてくれた人として五味さんの名前を挙げています。

そして2007年12月23日の『M-1グランプリ2007』。敗者復活戦を勝ち上がった2人は、決勝のファーストラウンドで「街頭アンケート」を披露し、1位で最終決戦へ進みます。審査員の島田紳助さんは、この年の最高点となる98点をつけました。最終決戦では「ピザのデリバリー」で審査員7人中4人の票を集め、優勝を決めます。賞金1,000万円の使い道を聞かれた2人は、アパートから引っ越すと答えました。

2009年には『キングオブコント2009』で準優勝。この年の夏から、新ネタだけで全国をまわる単独ライブツアーを始め、毎年の恒例にしてきました。

東北魂を掲げて地元とともに歩むサンドウィッチマン

2人の活動に欠かせないのが東北です。2008年には宮城県の村井嘉浩知事から「みやぎ夢大使」を委嘱され、同じ年に東北放送で『サンドのぼんやり〜ぬTV』が始まりました。この番組は、2人の地元での顔として長く続いてきました。2010年にはフラットファイヴを円満に離れ、担当マネージャーとともにいまの事務所グレープカンパニーを立ち上げました。

2011年3月11日、2人は宮城県気仙沼市で『サンドのぼんやり〜ぬTV』のロケ中に東日本大震災にあい、安波山へ避難しました。翌日、伊達さんはブログに「日本をナメるな! 東北をナメるな!」とつづり、この文章は英訳されてイギリスの新聞『インデペンデント』の電子版でも紹介されています。

2人はすぐに「東北魂」の義援金口座を開き、自分たちで1,000万円を寄付しました。集まったお金を被災した各県に届け、毎年3月11日には気仙沼で黙とうをささげてきました。東北楽天ゴールデンイーグルスの応援大使も務め、2024年には球団創設20周年のアンバサダーにも就きました。2012年からは中川家、ナイツと3組で「漫才サミット」という合同ライブを開き、全国をめぐってきました。

博士ちゃんからミュージックソンまで、広がり続ける仕事

2人を代表する番組のひとつが、2019年に始まったテレビ朝日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』です。2023年にはその新春3時間スペシャルがギャラクシー賞テレビ部門の選奨に、ニッポン放送の『サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー』が同じ賞のラジオ部門の選奨に選ばれました。2021年にはギャラクシー賞テレビ部門の個人賞も受けています。

ほかにも、テレビ朝日の『帰れマンデー見っけ隊!!』(2016年から)、TBSの『バナナサンド』(2019年から)、フジテレビの『かのサンド』(2025年4月から)など、2人の名前がつく番組が次々に始まりました。2025年12月24日正午から25日正午までの24時間は、ニッポン放送の『第51回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』でメインパーソナリティを務めました。

それぞれの活動も広がってきました。富澤さんは『M-1グランプリ』の審査員を2015年と、2018年から2023年まで務めました。ドラマ『カルテット』の谷村大二郎役でも知られ、2026年4月には日本テレビの『月夜行路 -答えは名作の中に-』第2話に佐藤剛役で出演しています。2025年の『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』では、伊達さんがアートリア王、富澤さんが評論家の声を担当しました。

ちょっと何言ってるか分からない2人の素顔とこれから

ネタを作るのは富澤さんで、携帯電話に書きこんで作っています。伊達さんは長いあいだ、富澤さんの丸文字の手書きでないと頭に入らないと言い、台本は手書きでした。単独ライブでは、東京での初舞台から応援を続けるファンの「小島さん」をいじるのが恒例です。2017年にロンドンで公演したときには、第11代サンドウィッチ伯爵のジョン・モンタギューさんに会い、コンビ名を使い続けてよいと公認されました。

伊達さんはぬいぐるみが好きで、すべてに名前をつけています。旅先ではご当地のコーヒー牛乳を必ずといっていいほど飲むそうです。富澤さんは猫が好きで、スポーツのユニフォームを集めていて、営業ではそのコレクションを着て登場します。2人ともお酒がまったく飲めない下戸で、体型と見た目から酒豪とまちがえられることが多いそうです。

M-1で優勝して売れっ子になってからも、ネタで世に出たのだから一生ネタを続けるという姿勢を貫き、毎年新ネタのツアーを重ねてきました。「ちょっと何言ってるか分かんない」でおなじみの2人のやりとりは、高校のラグビー部から続く仲の良さがあってこそです。仙台から始まった2人の歩みは、これからも東北の人たちとともにあります。

写真: Cabinet Office, Government of Japan / Tadashi Aizawa / CC BY 4.0 (Wikimedia Commonsより)

Follow me!

コメント

error: Content is protected !!
トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました