今や「国民的お笑いコンビ」として知られるサンドウィッチマン。
お茶の間では、伊達みきおさんの優しさと富澤たけしさんのシュールなボケが絶妙に絡み合う、安心感と爆笑を届けるコンビとして愛されています。
しかし、彼らがここまでの地位を築くまでには、長い下積みと困難がありました。
今回は、サンドウィッチマンの「生い立ち」をテーマに、二人の少年時代からコンビ結成、そしてM-1優勝に至るまでのストーリーを、詳細に掘り下げてお届けします。
目次
サンドウィッチマン プロフィール
名前 | 伊達 みきお(だて みきお) |
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生年月日 | 1974年9月5日 |
出身地 | 宮城県仙台市泉区 |
担当 | ツッコミ・ネタ作りの統括 |
特徴 | 優しさと誠実さにあふれる人柄、東北弁の温かみが魅力 |
名前 | 富澤 たけし(とみざわ たけし) |
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生年月日 | 1974年4月30日 |
出身地 | 宮城県仙台市泉区 |
担当 | ボケ・ネタ作りの主担当 |
特徴 | 低音ボイスのシュールなボケと、独自の世界観を持つクリエイター気質 |
結成年は1998年。
吉本興業の芸人が主流の中、グレープカンパニーという独立系の事務所からのし上がったコンビです。
2007年のM-1グランプリ優勝をきっかけに、全国区の人気を獲得しました。
幼少期~学生時代の伊達みきお
宮城県仙台市泉区に誕生
伊達みきおさんは、宮城県仙台市泉区で生まれ育ちました。
「伊達政宗の末裔」だと名乗っていますが、本人いわく「なんの証拠もない」というジョークを飛ばす場面も。
父親は厳格で、母親は優しいタイプの両親に育てられ、比較的のびのびとした家庭だったと言われています。
幼少期は「ガキ大将」
小学生の頃は「ガキ大将」で、友達の中心にいるリーダータイプだったそうです。
特にスポーツが得意で、小学校時代は野球チームに所属し、キャプテンを務めていたとのこと。
体格も良く、「みんなの兄貴分」といった存在でした。
東北高校時代はラグビー部
高校は、スポーツの名門・東北高校に進学。
ラグビー部に所属し、ポジションはフォワード。
東北高校は甲子園の常連校としても知られていますが、ラグビーでも全国クラスの実力校。
厳しい練習を重ねたことで、精神的にも肉体的にもタフになったと語っています。
ちなみに、同じ高校の1学年下に楽天イーグルス監督の石井一久さんが在籍していました。
「芸人になろう」という意識はゼロ
学生時代、伊達さんはまったく芸人を志しておらず、ラグビーに打ち込む普通のスポーツ少年。
将来は公務員やスポーツに関わる仕事に就ければ、と漠然と考えていたようです。
幼少期~学生時代の富澤たけし
同じく仙台市泉区で育つ
富澤たけしさんも、伊達さんと同じ仙台市泉区の出身。
生年月日は伊達さんより約4ヶ月早く、幼稚園も小学校も同じでした。
幼少期は「内気な子」
幼い頃の富澤さんは、伊達さんとは対照的に内気な性格。
口数は少なく、周囲からは「何を考えているかわからない」と言われることも。
しかし、仲の良い友達には面白い話をして笑わせることが好きで、「実はユーモアのセンスがあった」と言われています。
小学生時代は剣道少年
スポーツは得意で、剣道に打ち込んでいました。
高校は東北高校で、伊達さんと再び同じラグビー部に所属。
ポジションはセンターで、素早い動きと冷静な判断力に長けた選手だったそうです。
二人の出会いと「腐れ縁」の始まり
幼稚園で初対面
伊達みきおさんと富澤たけしさんは、実は幼稚園からの幼馴染。
小学校、中学校、高校とずっと同じ学校で、部活も同じラグビー部。
まさに「腐れ縁」という言葉がぴったりの二人だが、特別仲が良かったというわけではなく、「友達グループの一員」という関係性だったといいます。
ラグビーが二人を繋ぐ
ラグビー部では、フォワード(伊達)とセンター(富澤)というポジション。
共に汗を流し、試合で支え合う中で、互いへの信頼感が深まったと言われています。
また、練習後のバカ話や、遠征のバスの中での大喜利大会が、後の漫才の原点になったとも語られています。
コンビ結成のきっかけ
伊達が最初に別のコンビを組む
高校卒業後、伊達みきおさんは「無計画」に上京し、飲食店などでアルバイト生活を送りながら「芸人になってみたい」と思い始めます。
最初は別の相方とコンビを組み、「親不孝」という名前で活動。
だが、なかなか芽が出ず、コンビは解散。
富澤を呼び寄せる
相方がいなくなった伊達さんは、「あいつしかいない」と思い立ち、富澤さんに電話をかけます。
当時、富澤さんは地元で普通のサラリーマンをしており、「東京に出て来ないか?」という誘いに対し「面白そうだから行くわ」と快諾。
このフットワークの軽さが、サンドウィッチマン誕生の第一歩になりました。
1998年「サンドウィッチマン」結成
コンビ名は「ダサい名前にしよう」という発想から、あえてベタな名前を選んだとのこと。
「サンドウィッチマン」という言葉が世の中から消えつつあることにも、「懐かしい響きがいい」という感覚があったそうです。
売れない時代と下積み生活
10年の無名時代
サンドウィッチマンは、コンビ結成から10年間、まったく売れない時代を過ごします。
ライブや営業で地方を回り、1日5000円のギャラも珍しくなかった。
一時は、コンビ解散も考えたと言いますが、「もうちょっと頑張ろう」とお互いを支え合いながら芸を磨き続けました。
ネタ作りへのこだわり
ネタはすべて富澤たけしさんが担当。
伊達さんは構成のバランスを見て修正するというスタイルで、長年にわたって「誰にでもウケる王道の漫才」を目指し続けたそうです。
2007年 M-1グランプリ優勝と運命の転機
敗者復活からの下克上
2007年、M-1グランプリの敗者復活戦を勝ち抜き、決勝に進出。
誰もが「無名コンビ」と思っていたサンドウィッチマンが、堂々の優勝を果たします。
あの瞬間は、彼らの10年に及ぶ下積み生活の努力が実を結んだ瞬間でした。
そこからの快進撃
M-1優勝後はテレビ・ラジオ・舞台と活躍の場を一気に広げ、今や好感度ランキングでも常に上位を維持する「国民的コンビ」へと成長。
東日本大震災と被災地支援
サンドウィッチマンは、2011年の東日本大震災で大きな行動を起こしました。
震災直後から宮城県の被災地を訪れ、自ら支援物資を届けたり、募金活動を行ったりと、東北出身者としてできる限りのサポートを続けています。
この行動は、全国から「サンドは信用できる」「人として尊敬できる」との声を集めました。
まとめ|サンドウィッチマンの生い立ちが作る「強さと優しさ」
伊達みきおさんと富澤たけしさんの生い立ちは、
- 幼なじみという長い付き合い
- ラグビーで鍛えた精神力とチームワーク
- 東北人ならではの温かさと芯の強さ
これらがすべて、彼らの漫才と人柄に表れています。
これからも、サンドウィッチマンは人々に笑いと優しさを届け続けることでしょう。
「誰も傷つけない漫才」「みんなを幸せにする芸」を掲げて歩み続ける、そんな彼らから目が離せません!
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