『ドラゴンボール』、『Dr.スランプ』など、日本のみならず世界中で愛される作品を生み出した伝説の漫画家・鳥山明さん。
その独創的なキャラクターや、緻密でありながらポップなデザインセンスは、多くのクリエイターやアーティストにも影響を与えています。
では、そんな鳥山明さんはどのような環境で育ち、いかにして世界的漫画家への道を切り開いたのでしょうか。
今回は、鳥山明さんの生い立ちとその軌跡を、4000字のボリュームで詳しく紹介します。
目次
鳥山明 プロフィール
項目 | 詳細 |
---|---|
名前 | 鳥山 明(とりやま あきら) |
生年月日 | 1955年4月5日 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
血液型 | A型 |
職業 | 漫画家、キャラクターデザイナー、イラストレーター |
主な代表作 | 『Dr.スランプ』、『ドラゴンボール』、『キャッシュマン』 ほか |
活動開始 | 1978年(デビュー作『ワンダーアイランド』) |
幼少期|愛知県で育った少年時代と絵との出会い
名古屋市での生い立ち
1955年4月5日、鳥山明さんは愛知県名古屋市に生まれました。
当時の名古屋は高度経済成長期に突入したばかりで、戦後の復興が進む活気ある都市でした。
鳥山さんは、比較的裕福な家庭で育ったといわれています。
彼の父親は工場経営をしており、母親は専業主婦。両親は穏やかで教育熱心な性格で、自由な発想を大切にする子育て方針だったと言われています。
幼少期から絵を描くのが大好きな子ども
鳥山明さんは、幼い頃から「絵を描くこと」が大好きでした。
母親によると、鳥山少年は2歳の頃からすでにペンを持って何かを描いていたといいます。
特に動物や乗り物を描くことが好きで、無我夢中で絵を描いていた姿が印象的だったとか。
また、父親が車好きだったことから、鳥山少年も車やバイクに興味を持つようになります。
この影響は、後の作品にも色濃く現れており、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のメカデザインにも繋がっていきます。
小学校・中学校時代|“ものづくり”に夢中だった日々
小学生時代の性格と興味
小学校時代は、「おとなしいけれど、手先が器用な子」として知られていました。
図工や美術の時間になると、クラスメイトの誰よりも集中し、細かな作業を黙々とこなしていたそうです。
模型やプラモデルを作るのも得意で、時には完全にオリジナルのモデルを作り上げることもありました。
その一方で、体育や運動はあまり得意ではなく、「スポーツをするより、絵を描いているほうが好き」というインドア派だったことを本人も語っています。
中学時代には映画・特撮にも影響を受ける
中学校に入ると、映画やアニメ、特撮作品にのめり込むようになります。
特に大きな影響を与えたのは、円谷プロの『ウルトラマン』シリーズや、東宝の『ゴジラ』シリーズです。
これらの特撮作品に登場する怪獣やロボットのデザインに感銘を受け、自身でも独自のキャラクターやクリーチャーを描くようになっていきました。
この頃から「自分の作ったキャラクターが動いているところを見たい」と思い始め、アニメーターへの憧れも芽生えたと言われています。
高校時代|グラフィックデザイナーを志すも漫画家の夢はまだ遠く
愛知県立旭丘高校へ進学
高校は、愛知県内でも美術教育に定評のある愛知県立旭丘高校 美術科に進学。
当時から絵のうまさは群を抜いており、教師や同級生からも一目置かれる存在だったと言われています。
しかし、本人は「自分は特別な才能があるわけじゃない」と感じていたらしく、プロの漫画家になる夢は持っていなかったそうです。
むしろ、グラフィックデザイナーを目指しており、広告デザインやパッケージデザインの道に進むことを考えていました。
高校卒業後はデザイン事務所に就職
高校卒業後は、名古屋市内の広告デザイン会社に就職。
ポスターやパンフレットのデザインなどを手がけるようになります。
しかし、厳しい納期や単調な作業に次第にストレスを感じるようになり、入社から2年ほどで会社を辞めてしまいます。
このとき、失業保険を受け取りながら「何か他にできることはないか」と模索する日々を送っていたそうです。
漫画家デビューへの道|ジャンプへの挑戦
賞金目当てで「ジャンプ」の新人賞に応募
そんなとき、鳥山明さんは「週刊少年ジャンプ」の新人漫画賞(手塚賞)の募集広告を目にします。
「賞金がもらえればラッキー」という軽い気持ちで応募したのが、彼の漫画家人生のスタートでした。
1978年、『ワンダーアイランド』という短編作品を投稿し、これが編集者の目に留まります。
担当編集者となったのが、後に“名編集者”として知られることになる鳥嶋和彦氏。
鳥嶋氏は、鳥山明さんのデザインセンスに惚れ込み、何度も改善点を指摘しながら作品のブラッシュアップをサポートしていきました。
『Dr.スランプ』でブレイク
1979年、『Dr.スランプ』の連載がスタート。
この作品は、ギャグ漫画として爆発的な人気を博し、アラレちゃんのキャラクターは日本全国で大ブームを巻き起こしました。
アニメ化もされ、関連商品も次々とヒット。
ここから、鳥山明さんは「国民的漫画家」としての地位を確立していきます。
『ドラゴンボール』で世界的な漫画家へ
冒険活劇と格闘技を融合
『Dr.スランプ』終了後、1984年から連載が始まったのが、鳥山明さんの代表作となる『ドラゴンボール』です。
初期は冒険活劇スタイルで始まりましたが、次第に格闘技を中心としたバトルものにシフト。
これが大ヒットの要因となり、日本のみならず世界各国で読まれる作品となりました。
アニメ化とゲーム展開
『ドラゴンボール』は1986年にアニメ化され、その後『ドラゴンボールZ』や『GT』、『超』などシリーズが続き、今なお世界中で人気を誇っています。
また、ゲームや映画、フィギュアなどメディアミックスも成功し、世界のポップカルチャーに大きな影響を与えました。
キャラクターデザインとイラストレーターとしての顔
『ドラゴンクエスト』シリーズのデザイン
漫画家としてだけでなく、ゲーム業界にも進出。
特に有名なのは、『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザイン。
モンスターや主人公たちのビジュアルは、鳥山さんの手によるもので、そのユーモアと親しみやすさは、ドラクエの魅力を一層引き立てています。
『クロノ・トリガー』『ブルードラゴン』など
その他にも『クロノ・トリガー』や『ブルードラゴン』といったゲームのキャラクターを手掛け、ゲームファンにもその名を轟かせました。
現在とこれから
引退をにおわせながらも創作意欲は健在
一時は「引退」をほのめかす発言もしていた鳥山明さんですが、2020年代に入ってからも新作アニメやデザインの監修を行い、精力的に活動していました。
2024年、急逝の報道
2024年3月、鳥山明さんの訃報が報じられ、世界中のファンが衝撃を受けました。
その創造性と功績を称える声が続々と寄せられ、日本の漫画界のみならず世界のクリエイターたちにも多大な影響を与えた存在であることが改めて認識されました。
まとめ|鳥山明が残したレガシーと未来への影響
鳥山明さんは、
- 幼少期から培った豊かな想像力
- 手先の器用さと美術的センス
- 鳥嶋和彦氏という編集者との運命的な出会い
によって、日本漫画史に名を刻む存在となりました。
彼の描くキャラクターや物語は、国境を越え、文化や世代の垣根をも超えて愛され続けています。
鳥山明さんの作品は、今後も新たな世代のクリエイターや読者たちに影響を与え続けることでしょう。
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